ひとつはちす!観てきました!!
3/12(火)ソワレです。
今回の出陣メンバーだと大包平&まんばの江水コンビ推し。
これだけは先に言わせてほしいのですが、FC会員は花暦13話をぜっっっっったいに聞いといてください!!!!3/31までだから!!!気をつけて!!!!
観劇当日に未視聴だったこと思い出して、TDCに向かう電車の中で聞いて事なきを得た審神者より。
めちゃくちゃ長くなってしまったので目次つけようとしたら容量オーバーしてしまってつけられませんでした。すみません。(書きすぎだよ)
~読まなくてもいいコーナー~
そう、あれは大晦日のこと。
私は友人(刀ミュも一緒によく行く)と会っていて「明日あたり、新作発表来てもおかしくないと思ってるんだよね」「今、江おんやってることを考えると、私(あおさくゾンビ)としてはやはりあおさく再演説を推したい!!」と話していたんですよ。
で、翌日。
マジで!?!?!?!?だいぶ予想外なところ来た、っていうか出陣メンバーヤバすぎ笑うチケット戦争勝てない(笑えません)
阿弖流為で知ってるの、阿弖流為の乱を田村麻呂が抑えたことと清水寺に碑があることだけですが!?碑も碑文は読んでないからなんであるのかは分からん!!勉強せねば!!
という感じで、ちょっと勉強して臨んでいます。参考として小説「火怨 北の燿星アテルイ(高橋克彦)」と、ちょうどシネマ歌舞伎でやっていた「歌舞伎NEXT阿弖流為」を見て、気になるワード調べや史実との照合をネットでできる範囲で行った感じです。
~どうでもいい話、終わり~
では、感想いきます。ネタバレしかありませんのでご注意ください!!!
↓↓↓以下、ネタバレしかない↓↓↓
まず、観劇していて「これ、蝦夷知識0の人だと単語認識難しくない?」と思ったものを書いておきます。本筋にはそんなに関係ない、かも。
~蝦夷用語(?)のコーナー~
・阿奴志己(あぬしこ)
→序盤の阿弖流為と母禮の会話中に「阿奴志己のように山を降りれば…(ここでは朝廷に下ることを指す)」とある。阿奴志己は志波(今の盛岡)の蝦夷の頭領的な人
・悪鬼悪路王(あっきあくろおう)
坂上田村麻呂伝説(伝説。史実ではない)に出てくる存在。悪路王の出てくる話はあちこちの土地に存在。その名の通り「鬼」として出てくるときもあれば、悪人の時もあるし、善人ぽい時もある。有名な悪路王の話は平泉の話。阿弖流為がモチーフになっている説もあるし、関係ないとする説もある。
↓平泉の話
https://www.sekaiisan.pref.iwate.jp/know/cheritage/takkoku
名称自体はいろんな作品に出てくるので耳馴染みあるかも。あなたのアラハバキはどこから?私は文スト。
蝦夷が信仰していたという設定でよく出てくる神。ちょっと調べてみたけど詳細は基本的に「よく分からない」。
そもそも「蝦夷」って別に蝦夷族みたいな民族ではなくて「(京から見て)東の方にいる朝廷に従わない人達」的な意味なので(諸説あります!)、蝦夷が信仰している神、という設定も結構雑だなと思います……。
~このコーナー終わり~
この先、延々とミュ本丸について考えるので、先に頭の悪い脳直感想置いておきます。
・母禮、美声だし歌がお上手、と思ってたらちゃんと「母禮は歌がうまい」という設定があることが判明してわろた。
・「蝦夷を支援していた物部という一族が出てくる読み本があった」←私が読んでたやつにも出てきた!!!!!!ていうかまんばパイセンに言われて「ハッ物部!!!」となったのでセンサーが鈍すぎる。どうしても「物部」って聞くと「物部氏」「物部守屋、聖徳太子…」とかって連想してしまう脳みそなので……。くっそ〜〜本当に迂闊だった。反省。
・鶴丸は出陣先の歴史を調べない子たちに厳しい(パライソ)ところがあるけど、そんなことまで指導してくれなくて、でも今回まんばパイセンがしっかりみんなに指導していて良かった。江水の時には無かったことだから弟子の「言葉にしろ!!」が効いているのかもしれない。
・弟子「なんのために口があるのだ!!!!!」はい!すみません!!!大いに刺さりました。大反省。
・阿弖流為「京のど真ん中に俺たちの名前を刻んでやろうぞ!!!!」刻まれてるよ〜〜〜〜〜〜!!!!!!清水寺に阿弖流為と母禮の碑があるよ〜〜〜〜号泣
・まんばパイセンの昭和の漫画みたいなゲンコツ
・夜鳴きそばの量が普通に多め
・鶴丸、常にストレスフルだったから三日月とド直球喧嘩できて良かったね。でも水心子を出汁にするな。かわいそうじゃないか!(まんばパイセンはそれまで見越して水心子をついていかせたのだろうか)
・山姥切大悟、誰と並んでもでかくて面白い。三日月にも見上げられてたの笑っちゃった。この業界でその容姿はマジで貴重なのでそのままでいてください。
・傷を負ってシャツとスラックスというシンプルな姿になった大包平、普通にその格好が超似合っていてドキドキしてしまいました。(懺悔)
・「刀剣乱舞」いつ来るのかな〜と思ってたらめっちゃ変体してスルッと出てきて驚愕した。
↓↓↓こっから二部の感想↓↓↓
・大包平、クルエラみたいなコート着てる爆笑
・ホスト!?!?!?脱いでも脱いでもホストだった!!!!!楽しすぎる。シンジュクにいそう。
・セトリは百花絢爛/水心子ソロ/鶴丸ソロ/水&はっち&大包平トリオ/鶴&月デュエット/加州&まんばデュエット/炎舞/刀剣乱舞
・MCパートは組分けして玉入れ。行司は三日月で、大包平(かご役)&まんば&はっちvs水心子(かご役)&加州&鶴丸。水心子チームの勝ち。
・姿勢が良すぎて暗転してるのにすぐ判定できる大包平。愛。
・え……もしかしてこの曲……XXXでは……俺たちの死。お祭りver.じゃなくて合法(?)でXXX観れるのありがたすぎる。五体投地。
〜〜〜このコーナー終わり〜〜〜
では、これよりミュ本丸の検討を開始します。
■今回明らかになったミュ本丸のこと
1.本丸の桜の木は本丸に顕現した刀剣男士の数と同じだと言われるが、1本多い。
(1)顕現するたびに桜を植えようと言ったのは「あいつ」
(2)主は(1)の事実を鶴丸に教えたが、他の刀には話さないでほしいといった雰囲気。
(3)本丸が稼働して間もない頃は、よく鶴丸が桜を植える穴を掘っていた
(4)本丸の奥まったところに大きな桜の木がある。あまり知られていない。鶴丸や三日月、主はたまにその桜のもとで過ごす。
2.三日月、鶴丸、主の間には「約束」がある。(まんばも?)
(1)鶴丸「約束は、呪いか?」主「約束は、願いですよ」
(2)鶴丸「主は悲しんでいる」三日月「俺は約束を守っているつもりだ」
(3)主「あの頃の私には、戦う覚悟ができていなかったのです」(うろ覚え)
→無邪気な約束にも呪いにもなりうる言葉っぽい。ベタだけど「歴史を守ってください」とかか?
3.平安末期に出陣した際に「ある出来事」が起きた。
(1)出陣先の言及があったかどうかうろ覚えですが、私の中では「奥州藤原氏関連」で確定状態です。
(2)「ある出来事」では、二振りを失った様子。
(3)出陣メンバーは、隊長まんば、三日月、鶴丸まで確定。
→桜が足りないのは一振り分だが、失ったのは二振り(うんと後ろでもう一回この話します)
4.ミュ本丸での刀剣男士顕現について
(1)顕現順は三日月→鶴丸→まんば
(2)顕現すると真っ先に歌の勉強をさせられる
→「あいつ」の趣味と推測
(3)本丸稼働初期は三日月と鶴丸はとても仲が良かった
(4)蜂須賀「この本丸の古参はみな一人で抱え込みすぎる。不愉快だ。」
5.その他キーになりそうなこと
(1)鶴丸、水心子に対して「お前は本丸一優しい刀だって、みんな言ってるぜ」
→水心子は三日月に似ている、三日月の後継という役割?
(2)三日月は主に黙って一人でいろんな時代に行っている(2-3とも関連)。大包平「そんなことが許されるのか!?」鶴丸「誰も許してなんかいない」
(3)水心子、折れかけた加州を目の当たりにして「折れるってどういうことなんだろう(うろ覚え)」蜂須賀「引きずり込まれるな。それは人間の考え方。俺たちは刀剣男士だ。(うろ覚え)」
→時折出てくる「俺たちは刀剣男士だ(人間ではない)」という考え方。
人のように感傷的、感情的になることを意識的or無意識に遠ざけようとしている?
(4)蜂須賀「太陽が眩しすぎて、どれだけ目を凝らしても日中に星の光を見ることはできない。目を凝らせば見えると思っていた。(うろ覚え)」
→月は日中に見えることもある。月は太陽の光を反射している。
→三日月の存在の大きさを暗に示している?
(5)「月は鏡」みたいな歌詞の歌。三日月以外のメンバーが三日月を想って歌う。
→月は太陽の光を反射して光る。
鏡は古来から「神聖なもの」として扱われる。
「○鏡」と名のつく「四鏡」と呼ばれる歴史書。これはどうも、「鏡=歴史(今を写し出す)」という解釈があるっぽい?ですね。
→とすると、「月は鏡」は「三日月は歴史」に読み替えられる。大侵寇フラグか???
(6)二部最後?の「刀剣乱舞」の加州ソロ(わからん、一部だったかも)「届かぬ思いがあるものか」(通常歌詞「届かぬものなどあるものか」)
→「思い」が刀ミュの鍵
6.歴史上の人物側の描写でミュ本丸と絡めて考えられそうな事項
(1)田村麻呂「朝廷は土地を切り開く者、蝦夷は土地を守る者。相入れぬ両者がぶつかったら、どちらかの巨大な力で相手を徹底的に滅ぼすしかない(うろ覚え)」
(2)田村麻呂「もし……」
→鶴丸と三日月の対比に思えるな、と。ちょっと乱暴ですが、「歴史を守るために必要なもの」を鶴丸は「力」だと思っていて、三日月は「心」だと思っている、と定義します。そうすると(1)の田村麻呂は「鶴丸」で(2)の田村麻呂は「三日月」。
(3)ヤヒコ(千里眼的な力があると思われる)、三日月に対し「たくさん聞いてきたんだね。だからもう、ヤヒコの話は聞かなくていいよ」三日月を抱きしめる。
→三日月が相当な回数単独行動していることが察せられる。ヤヒコと会うのは初めて?
(4)三日月、処刑前の阿弖流為&母禮に対して「お前たちの命、俺が預かろう」阿弖流為「俺の命は俺のものだ!!」「何度目だ?これまでお前の提案に頷いた俺はいたか?(うろ覚え)」三日月、否定。その顔を見て阿弖流為「そんな顔するな」
→三日月が「心」で「みなが幸せになる(と三日月が思っている)」解決方法に導くやり方にも限界があると感じている…?三日月の考え方の範疇外の存在を救うことができない。(でもそれも三日月が勝手に「救い」だと思っているだけなので、そのやり切れなさもありそう)
■これまでのミュの話でキーになりそうな事項
1.むっちゃんと長曽祢さん
引用長くなってしまったので、先に結論書いときます。
→むっちゃんと長曽祢さんは古参なのではないか。
長曽祢さんはギリ顕現間に合わなかった可能性もあるかもだけど、むっちゃんは絶対「あいつ」と面識ある。
(1)むっちゃんに関する過去の私のあれこれ
※自分で書いた文章なので、適宜読みやすいように強調等しております。
むっちゃんが全体的に「何かを乗り越えている」オーラをバンバン出してきていて、ラストも勿論なんですが、ちょいちょい「刀の時代は終わった」だとか、土方さんのことを「刀に拘っている時代遅れ」って言って安定をカチンとさせたりだとか、そういうところが大変に自己犠牲的で、「龍馬が命を懸けて創った新しい世界を守りたい」という気持ちをひしひしと感じるというか。うまく説明できないんですが。
なんでそんなこと言えてしまうんだろう、って何回も思ってしまうんですよね。
兼さんが言っていた「お前はいつだって正しいよ」がほんとそれ!って感じで。
むっちゃんは正しい。残酷なくらいに正しくて、だからこそ本心が見えなくて怖いなって思いました。
もっとむっちゃんの話をください。
陸奥守は三日月のように「救いのある歴史改変」を目指して何度も出陣するも、失敗を重ね「何をしても歴史は変えられない」と強く思うようになったのではないか?という仮説。
端的に言うと「三日月になり損ねた刀」
むっちゃん、むすはじで初登場した時からどこか達観していて大いに戸惑った思い出があって、それで、むっちゃんがまんばちゃんと同じ経験をしていたとしたら、あの態度も納得できるなあって思ったんです。
(2)長曽祢さんに関する過去の私のあれこれ
むっちゃんと仲が良いというかお互い口に出さないけど絶対的な信頼を築いてるところがすごくグッと来てたので、だからむっちゃんとの過去話をな、頼むな。(中略)そういえばむっちゃんが近藤さんに謝って「なんでお前が謝るんだ」って言ってたところ、私もなんで謝るのかさっぱり分からなかったんですけど私の理解力が足りないのかむっちゃんが何かを隠してるのかどっちなのかな???
そのあとやたらと長いこと笑って退場する長曽祢さんも気になったんだよな~~~~。あのシーンなんだったんだ。
長曽祢さんもああいう性格だから「やりたくないけど、俺がやらなきゃ」ってなってしまう。そこにはっちは「やらなくていい!!!」って言ってくれるんですよ~~~~;;;;;
+パライソでの浦島「鶴丸国永と三日月宗近を信じろ!って長曽祢兄ちゃんが言ってた!」
2.明石
明石の話は最後に。
とりあえず、明石に関する過去の私のあれこれを置いておきます。
明石は両者に違いはないけど、これは戦争だから殺すんだよ、そうじゃないと心が壊れるって言う(中略)篭手切は自分らと遡行軍に違いはないって言ったけど、稲葉を特別扱いするのはなぜ?
すべてを救えないなら、誰も救えてないのと同じこの情報に加えて、大千秋楽見てるときにふと思ったことが「明石、自分にあんまり関係ない歴史(御手杵の歴史に)にやたら詳しいな」ということ。
それに人間の歴史にもやたら詳しい。双子の扱いとか。(中略)
普通に考えると明石にも篭手切のような考え方をしているときがあったor身近にそういう考え方(刀剣※も歴史上の人物も今の歴史も全部守る)をする人(?)がいた、がその思いを封じようと思う何かしらの出来事があったってことですよね...?
※この中に遡行軍を含めてる男士と含めてない男士がいそう
含めてる→明石、むっちゃん
含めてない→今作の最初の篭手切(中略)
明石が負傷して「こんなん唾つけとけば治りますわ」からの篭手ちゃんの「人間じゃないんだから~(爽やかな笑顔)」に対しての、あの、あまりにも意味深すぎる反応...。なんなの????
明石の心がが人間に近づきすぎてるとかそういうこと??(中略)
史実通りの歴史、への拘りがあるように見受けられる。三百年組の行い(信康を密かに生き延びさせた)や三日月の介入を始めのほうは全然認めていなくて、篭手切ちゃんとの交流によって「全否定はしないけど好きではない」→「もう少し見させてもらいましょか」に繋がる?
(中略)
きっと歴史を誰よりも変えたいと願ってるのは自分なのに(引用注:この前に「史実として蛍丸が消息不明になっている事実」と明石、という話をしている)、それでも良い保護者、刀剣男士でありたい、過去を変えてしまったら今の刀剣男士としての蛍丸は消えてしまう(これはよくある過去改変したら現在も変わるというあの話です)って思って、必死に自分を納得させて歴史を守っているのに、それを飄々とグレーなことして生きてる同胞がいたら、そりゃ嫌な気持ちになるよね!!
明石の殺陣があおさくの時と全然違っていて「戦闘のための剣技」じゃなくて「舞いとしての剣技」って感じだったんですよね。くるくる回ったりしていて、力強さより美しさに目を奪われるような。
そして三日月も明石に合わせるかのように舞いのような殺陣になっていて...。
そして明石に「刀剣らしからぬ戦いかただ」と言い放つ~~~!!それに対して明石は「あんさんこそ、何を考えてらっしゃるのか」と答える...。
明石に関すること、すべて穿って見てしまうのですべて私の妄想である可能性が高いんですけど、にっかりですら優しい雰囲気になった「あなめでたや」で何も表情が変わってないところと、歌詠み話のなかで明石のターンだけ誰もミュージカルしてなくて、ミュ本丸の根本を否定してるみたいに見えるのが
3.「友」のこと
心覚を見ていた頃は「心覚に出てくる"友"」と「三日月の"友"」をイコールに考えていたのですが、一蓮を見て、「水心子と三日月は一見似ているが違う」をこれからの刀ミュは示そうとしているように感じました。
なので、下記引用も参考にしながらまとめると、
三日月の「友」は「歴史の中で哀しい役割を背負わされるもの」で、
水心子の「友」は「全部。なにもかもすべて。丸ごと」かな?
舞台のオリジナル曲の中にも月光のアルペジオ(三連符)を想起させる旋律が入ってるものがいくつかあって、その中に道灌の曲があったから月光のテーマが「友」なのは確定かなと思ってます。
初見時は「月光」だし、この曲は三日月を意味してるのかなと思ってたんですけど、三日月の時はちゃんと「華のうてな」がかかっていたので、三日月とは区別してそう。
壽の時、「月の光」がかかっていたのはもしかしたら先出しだったのかな??誰もわからんわ!!!
あの女の子?が出てくるときはマスト月光で、あの子は私達だったから、てことは私達=友?
大きいところから話すと今回のテーマは「歴史とは何か」。歴史とは勝者が語るもの。勝者の語りが正史とみなされる。でも、世界には勝者以外の「名もなきもの」「記憶に残らないもの」「記録に残らないもの」…たくさんの綻びが確かに存在していて(地に足つけて生きている)、そんな数多の彼らの想いが、心が歴史を紡いできた。そのことを忘れてはならない、知らなければならない、勝者の歴史だけが守るべき歴史ではない、零れ落ちていった歴史(放棄された世界?)だって愛しくて大切な歴史で、それらがなければ正史は成り立っていない…といったところでしょうか。
(中略)
「友=歴史の中で悲しい役割を背負わされるもの」、それはつまり...。境界について、どんな選択を選んだとしても、それぞれに苦しんだ私達を表しているってことなのかもしれない、と。
それから道灌の山吹伝説。あの話においては少女は「気づきを与えてくれる存在」。
まとめると、
少女=友=歴史の中で悲しい役割を背負わされるもの、少女=我々、少女=気づきを与えてくれる存在、少女=愛しい存在(月光の楽曲解説から)
ってなりますよね。
4.ミュ本丸で「魁(さきがけ)の花」と呼ばれている「梅の木」
「作り話」として「主が大切にしている梅の木を巡る話」をしたのは明石。
「梅」で連想されるものは「日向正宗」「前田家(家紋)」「北野天満宮」。
■いなくなった二振りのこと
前述しましたが「足りない桜は一本なのに、いなくなったのは二振り(っぽい)」。
それと明石の「刀剣男士としての役割(鶴丸的な思考)」に固執する一方、「人間じゃないんだから」「刀剣らしからぬ」等々の評価があり、明石自身も「すべてを救えないなら、誰も救えてないのと同じ(「全部救う」と表裏一体)」と話しており、とても人間らしい思考も持っている。むしろ無理やり鶴丸型の思考にしようとしている感じがする。
鶴丸の対比は三日月。でも明石は三日月を認めたくない。なぜか?
明石のところで引用した文章、もう一回引用します。
普通に考えると明石にも篭手切のような考え方をしているときがあったor身近にそういう考え方(刀剣※も歴史上の人物も今の歴史も全部守る)をする人(?)がいた、がその思いを封じようと思う何かしらの出来事があったってことですよね...?
これが、「失われた二振り」の一振りだとしたら?
二振りのうち、一振りは(もう確定としていいかな)初期刀。
もう一振りは、考えやすく考えると「初鍛刀」。初鍛刀といえば私の中では平野&厚なんですが(うちの初鍛刀は平野)、もし初鍛刀が失われていたとすると、それが粟田口だった場合、いち兄があんな健全なわけがないので粟田口は除外。それ以外の短刀が候補になる。
で、「魁の梅」。梅といえば、「前田家」がある。前田家にいた短刀は、前田、平野、信濃(諸説あるみたい)、そして愛染国俊。
はい、そんなわけで私は歌仙&愛染説を推します。
で、もう一つ。「失われたのは二振りだけど桜が足りないのは一本」の話。
これはもうだいぶ推測ですが、「物理で折れたのが一振り、心が折れたのが一振り」なんじゃないかなと思っています。一蓮、「思い」とか「心」の話が山ほど出てきたので。
だから、物理で折れた子は戻ってこないけど、心が折れた子は探し出せるかもしれない→三日月の徘徊、なのでは?という説です。
まあそうすると、物理で折れたのが愛染、心が折れた子が歌仙、なのかな……。
そう思うと明石の三日月への怒りも納得いく感じします。
という結論でした。結構ガバガバなところもあると思うので、ふ〜んって感じで読んでいただけると助かります。おわり!