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刀ミュ 東京心覚 感想など

ミュージカル刀剣乱舞「東京心覚」感想と整理メモと考察いっしょくたです。

観劇は13日マチネ、14日ソワレ。初日配信は見ていません。
アーカイブ見る前に新鮮な情報の整理をしておきたくて書いています。あとから加筆修正の可能性は大いにありです。
今回は観客の数だけ解釈がありそうなので、あくまで一人の観客が受け取ったこととして読んでください。
まずは自分なりの解釈を作りたかったので他の方の考察等は読んでいません。明後日なこと、もしくは当たり前のことしか言ってなかったらすみません、諸説あるがの!精神でよろしくお願いします。

推しは江と水心子。


では、以下ネタバレしかありませんので注意!!!!!!






※ネタバレ防止用画像

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【整理】
今回知っておくと良さそうなこと

天海の江戸計画
https://shuchi.php.co.jp/article/1389?p=3

道灌の山吹伝説
https://www.touken-world.jp/tips/44318/


今回の出陣の自分なりの整理※詳しくは後述

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心覚整理


【感想のような考察のようなもの】
今回、めちゃくちゃ心にきまして……。1回目の観劇時は今までとあまりにも流れが違ったので終盤まで何を見せられているのか全然分からず頭が爆発しそうだったんですが、水心子の独演でやっと気づいて、途端に第四の壁がガラガラと崩れ落ちて「これは私たちの話か」となり号泣しました。
こんなに優しい物語がある??????記憶に残らない、記録に残らないいわばモブ(ひいては我々)を絶対に忘れないというメッセージに加え、境界を超えることを選んだもの、超えないことを選んだもの、すべての選択を尊重する、選択することは難しかったろう、辛かったり悔しかったりしたろう、でもちゃんと気持ちは届いているから、ありがとう、僕たちは「すべきことをする」…………って!!なに???????こっちがありがとうですが???????(大号泣)
私たちには想像することしかできないけれど、この時代であなたたちが酷くつらく苦しい目にあって、世界が止まっているように感じて、自分がどこに立っているのかわかなくなる、存在が危うくなるような気持ちを味わって、今もきっとその感覚は続いているだろうことは分かるよ。私も時間の感覚、季節の感覚がなくなってもう一年経ってしまったし、劇場に足を運ぶことが正しいことなのかは今でも分からない。自分たちもつらい中、それでもこうやって私たちに寄り添ってくれること、「すべきことをする」「笑顔になってもらう。簡単ではないかもしれないけど難しくはない」と言ってくれること、本当にありがとう、ありがとう、だいすき;;;;;;;;;

どこから語れば良いのか分からないのですが、大きいところから話すと今回のテーマは「歴史とは何か」。歴史とは勝者が語るもの。勝者の語りが正史とみなされる。でも、世界には勝者以外の「名もなきもの」「記憶に残らないもの」「記録に残らないもの」…たくさんの綻びが確かに存在していて(地に足つけて生きている)、そんな数多の彼らの想いが、心が歴史を紡いできた。そのことを忘れてはならない、知らなければならない、勝者の歴史だけが守るべき歴史ではない、零れ落ちていった歴史(放棄された世界?)だって愛しくて大切な歴史で、それらがなければ正史は成り立っていない…といったところでしょうか。
道灌が水心子に残した山吹の歌と「己の無知と向き合うことになる」という言葉。アンサーシーンが最後にありましたね。最後の水心子の独演シーンで山吹に囲まれて舞う少女が出てくる。その時に「歴史とは何か」の水心子なりの解にたどり着き、「勝者の歴史」だけを「守るべき歴史」だと思っていた己の無知を知る、という。


・音楽から考える
双騎や壽で幕間でクラシックがかかる、という点に(個人的にクラシックが好きなので)地味に注目していたのですが、今回ついに劇中でバンバンかかるようになっていました。
かかっていたのは二曲。どっちも超有名曲なので皆さんご存知と思いますが、ベートーヴェンの「月光 第一楽章」と「悲愴 第二楽章」。
(ちなみに双騎は確か「G線上のアリア」で壽は「月の光」と「夢」です)

悲愴と月光について注目して観劇していると、この二曲はそれぞれ役割を持ってかかってることが推測されて、

悲愴 →水心子(あるいはコロナ禍の役者その他カンパニーの面々)
月光→友(あるいは愛しい人、我々)

かなあと。
それぞれの楽曲の解説は下記参照。

悲愴の解説
https://ontomo-mag.com/article/playlist/oyasumi106-20200330/

月光の解説
https://ontomo-mag.com/article/playlist/oyasumi164-20200527/

①「悲愴」について
水心子が混乱しているときはマストでかかっていました。
「悲愴」の解説は端的にまとめられているものが見つからなかったので、各自で色々と調べてみてほしいのですが、私の中では「困難とその先」を表現した作品なのかなと受け取りました。ベートーヴェンの聴覚に翳りが見え始めた頃の作品。個人的感想ですが悲愴、と名付けれらているわりに第一楽章以外は悲愴感そんなにないんですよね。第二楽章、第三楽章と進めるごとに翳りが消え、美しさや力強さが増していく曲想。第一楽章から第三楽章へ向けて「困難にめげず、ともに生きていく気持ち」が強まっていると解釈するなら、今回選ばれた第二楽章は「過渡期」なわけで。まさに「今」を表しているなあなどと思いました。
この曲が繰り返しかかり物語が進む中で、迷っていた、悲嘆にくれることもあった、でももう大丈夫、名前を呼んでくれる人たちがいる(混乱している水心子を引き戻してくれたのは、いつも彼の名前を呼んでくれる誰かがいたからですね)、自分が確かに存在していることがわかる、だから一緒にこの困難を歩んでいける、そのために「すべきことをする」、みたいな!!!!気持ちが!もしかしたら込められているのかもしれない!!!
正直楽曲にこんなに心奪われてるの私しかいない気がするので、99%深読みと思ってますけど深読み楽しいから気にしないよ。

②「月光」について
舞台のオリジナル曲の中にも月光のアルペジオ(三連符)を想起させる旋律が入ってるものがいくつかあって、その中に道灌の曲があったので月光のテーマが「友」なのは確定かなと思っています。
初見時は「月光」だし、この曲は三日月を意味してるのかなと思っていたのですが、三日月の時はちゃんと「華のうてな」がかかっていたので、三日月とは区別していそう。
少女が出てくるときはマスト「月光」で、あの子は私達だったから、ということは私達=友、とも考えられる。
「友=歴史の中で悲しい役割を背負わされるもの」、それはつまり...。境界について、どんな選択を選んだとしても、それぞれに苦しんだ私達を表しているってことなのかもしれない、と。
それから道灌の山吹伝説。あの話においては少女は「気づきを与えてくれる存在」。
まとめると、
少女=友=歴史の中で悲しい役割を背負わされるもの、少女=我々、少女=気づきを与えてくれる存在、少女=愛しい存在(月光の楽曲解説から)
ってなりますよね。
私たちは友であり、愛しい存在であり、気づきを与えてくれる存在、だと。


・今回の出陣の整理

再掲します。

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心覚整理

これは現時点での解釈なので、初日アーカイブを見て解釈変わる可能性は大いにあります。
色々見当違いな点もあるとは思いますがご容赦ください。

今回、「目的」と「時系列」がすごくわかりにくくなっていて、初見時はわけがわからなくて頭がぐるぐるになって心なしか目も回っていたのですが、多分それも不安定な水心子を表現するためだったんだろうと捉えています。
いつもはミュ本丸主が「○○をしてきてください」って指示を出すけど、今回はそれが無い。それは防ぎたい世界が「今」だからじゃないのかな、と考えました。
「今」。私たちが直面している「今」。だから具体的に「こういう歴史改変を防いでくれ」って言えない。だって「今」と「今から繋がっている未来」はこれから私たちが作っていくものだから。コロナ禍はまだ終わっていないから。もしかしたら「誰もいない世界」になってしまうかもしれない。桑名が山吹を植えてくれた世界は未来の私たちの世界かもしれない。でも誰もいなくなったら20XX年の本丸は成立しないことになるから、誰もいない世界を放棄して、正しい世界を作るしかない。
その「正しい世界」の未来にいる人たちからは「誰もいない世界」は「放棄された世界」になる。
だから清麿が「水心子は何を見たの?放棄された世界?」と言ったのは正しい。でも主は「知らない方が良いこともある」とは言ったけど「放棄された世界」とは言わなかったですよね。だってその世界は今ここにいる私たちの本当の世界になるかもしれないから。それを「放棄された世界」とは言いたくなかった、ってことなのではないか。優しすぎて泣けてくるよ……。
桑名も「誰もいない世界」を否定しなかったですよね。誰もいなくてもヤッホーって明るく呼びかけてくれる。誰もいなくなったら植物に覆われた世界が生まれる、世界が死ぬわけじゃない。食べれない、役に立たないと言われた山吹の花で世界をいっぱいにしよう!って言う。
……桑名、優しすぎない????????
ちょっと話それますが雨のうたの「今度降る雨は恐竜が流した涙だったかも」の歌詞が大好き。桑名の歌はうたのおにいさんみが強い。

で、結局(私が考えた)今回の出陣目的は「”今”を誰もいない世界に繋げないこと」。
歴史は水の流れ、と語る三日月。これを「少し分岐してもまた本流に合流できる範囲なら異説(傍流)に流して悲しい想いを減らしてもOK」と捉えていたのですが、それだけじゃなくて「数多の傍流(異説)が別の地点で合流して別の大きな流れ(=放棄された世界)を作る」こともあるよ、って考えてみます。
今回取り上げられたのは「東京」。東京に限らず全世界が大変なわけだけれど、一番今「誰もいない世界」に近いのは東京。桑名がいた時点の「誰もいない世界」は「誰もいない東京」だったのかもしれないですね。みんな東京を去ったり、東京で亡くなったりして誰もいなくなった東京。
「どこで間違えてしまったのか…」。これは冒頭の水心子の台詞。
どこから間違ってしまったのか。どこから修正すれば東京は存続するのか。
東京に縁のある「間違った歴史」(傍流)が"今"合流を果たして、そのせいで大きな川が生まれ、それが「誰もいない世界」に繋がったとしたら?
その「間違った歴史」を正すことで「正しい未来」に繋げることができるのではないか?

そして今回分岐点として選ばれたのが
平将門の乱
江戸城築城(太田道灌)
・江戸設計(天海)
江戸城無血開城(勝海舟)
の4つ。

本当は"今"だってなんとかしないといけないですけど、それは今ここで生きてる私たちが頑張る話ですね。
4つの出陣を通して「東京」がたくさんの記憶に残る人、残らない人、記録に残る人、残らない人達によって大切にされてきた土地なんだって気付かされて、無性に泣けてきてしまった。人の記憶からは消えても、土地はそこで生きていた人たちのこと、覚えてくれているかもしれないな、みたいな。そう思うとこの世界、東京を、誰もいない世界にしたくはないな、と。


・江の役割
「俺たち江はーーー!!!」って叫んだ後に\バリバリバッシャーン‼‼/暗転!!ってなったからひっくり返った。
三日月が言ってた台詞、ぼんやりとしか覚えていないのですが、あおさくの稲葉先輩の件がキーになってそうだな~。
雨雲が顕現したときに雨の「全員そろったのですか?」に「いいや。篭手切と松はいるけど、稲さんはもうちょっとかかりそう」的な返しをしてましたよね。遡行軍に感応しそうになる刀達を救う役割を負っている、とかかな。
というか豊前が江全員顕現させる気満々なのわろてしまった。いいぞ、ガンガン行こうぜ!!!


【その他比較的どうでもいい感想】
大典太の体の使い方?見せ方?がとてもうまくて、「大典太がいる」。足の動かし方がすごい大典太でした。
・一部で「体育にやるきの無い女子」っぷりを見せつけてくる雲、二部で一番ぴょんぴょこしていてかわいいの権化でした。
・二部衣装第三形態の水心子、あまりにも脱がないから第三形態になってることにしばらく気づかなかった。ふと目に入った大典太がめちゃくちゃ脱いでて気づいた。彼は脱ぎすぎ。
・二部のペンラ曲で、手を上にあげてフリフリしてる水心子、かわいいオブザイヤーなので全審神者見てほしい。