おいしいプリンが食べたい

おた活の感想などを書きます

パライソと江水

パライソ円盤見て、そのまま江水アーカイブも見て、思うことがあったので載せておきます。
振り返りたくなった時に見るための自分用のメモです。


パライソは「放棄された世界になることを防いだ話」で、江水は「放棄された世界になることを止められなかった話」。
鶴は放棄された世界にさせないために、小さなことでも「史実」とされている事を徹底して再現した一方で、江水は「細かい違いは見守っておこう」として、その「細かい違い」が縒り集まってどうにもならなくなってしまった。

江水は何で失敗してしまったのか考えていたのだけれど、恐らく小竜くんの使い方を誤ってしまったからかな…。
小竜くんは井伊直弼に縁のある刀なのに井伊直弼の側ではなく松陰の側にいることを選んだ。江水で決定的にまずかったのは、会沢正志斎が本来の思想ではなくなっていたことだと思っていて、でも小竜くんの松陰についての知識は「こういう事実があった」のみだったから、中身が変わっていることに気付かなかった。これが井伊直弼の側にいたら違ったかもしれない。「こんな考えの人では無かったはず」と気付けたかもしれない。
その点、パライソでは鶴が自分が正確に把握しきれていない部分はきちんと松井に確認していた。もちろん自分でも相当調べてたんだろうけど。
大包平は一通りさらっているような印象は受けたけど、細かく調べていたわけではないからやっぱり気付けなかった。前にまんばのバイトは全てその時勢のニーズに合っていたもの、と呟いていた人がいて、ということはまんばは相当調べてたんだろうね。

ミュとステの違いで気になってたことが「ミュには本丸勉強会がないのか?」ということで。
江水は顕著だけど、ミュは「知ってればもっとやり方あった」っていうのが結構あるよね。三百年の石切丸背負いすぎな件とか。
それを反省して生かしたのが大倶利伽羅なんですよ!大倶利伽羅島原の乱と特に縁はないのにちゃんと調べてたから鶴の支えになれた。
パライソで鶴は皆に「目を閉じるな」って伝えたかったんだと思っていて。目を閉じないでちゃんと目の前にいる人を見ろ、文献に書いてある文字じゃない、ちゃんと一人一人生きてるんだ、ということを。それは言い換えれば「出陣するならその時代のことを死ぬ気で調べて、何を守るのか本当に理解して出陣しろ」ということでもあり。
まんばもそのタイプなんだろうな。彼は刀剣破壊を経験してそう行動するようになったんだろうけれど。
だから、大包平の隊長として未熟な点っていうのはそこなのかも。でも、兼さんもまんばも「お前はそれでいい」って言う。

大包平はすごく優しいんだよね。江水でも本当は小竜には井伊直弼の側にいてもらうべきだったんだろうに、小竜の考えを尊重して松陰についていくことを認めている。部隊の皆をまとめられない、って悩んでるけど不和なわけではないし、ちゃんと誰がどこにいるかは把握している。初期はよく「軟弱者!!」って言ってたけど、最終的にはちゃんと撤退を選べるし、まんばに言われなくても多分「一人で勝手に折れようとするな!!!!」ってキレてた。仲間を一番大事にしてくれる。
「歴史のことを詳しく知っておく」は隊長に求められる技術的な要素だけど、「仲間を最優先にする」はそれよりも大事で大前提の要素で、でも心の問題だから身に付いていない刀がその思想を手に入れるのはすごく大変。あつかしの加州とか。それを最初から手に入れてたのが大包平だから、兼さんもまんばも「それでいい」って言ってたのかな~思った🤔