おいしいプリンが食べたい

おた活の感想などを書きます

刀ステ 禺伝 矛盾源氏物語 内容の整理(ネタバレしかない)

禺伝観てきました~~!!2/5(日)マチネです。

 

物語が何層にもなってて、え?え??ってなったので、自分の理解のために構造・内容の整理をします。

感想ではないです。感想は別記事で今後書くかも。

最初から最後までネタバレしかありませんので、ご注意ください!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

こっから先全部ネタバレ

※書きながら整理しているので間違っている部分がある可能性はあります。参考程度にどうぞ。

 

本当の出陣先

→「源氏物語」を内包した「源氏供養」

 

本当に自我のあった登場人物

光源氏(紫式部ファン過激派/現実世界に存在している)

 

自我があると思っていたけど実は「源氏供養」の登場人物だった人※
紫式部(藤壺)、小少将の君(弘徽殿女御)、藤原彰子(六条御息所)
※源氏供養内の人物として登場する人の中に、「(源氏供養内)源氏物語」の登場人物を演じている人がいる。

 

でも源氏供養には紫式部以外の人は登場しないっぽいんだよな🤔
無理矢理紐付けると、小少将の君と彰子は「源氏供養内の紫式部の思いが具現化された存在」とか??分かんない、すごい適当に書いてる。
源氏供養の知識が0なので、もしかしたら源氏供養の中には小少将の君とか彰子が出てくるパターンもあるのかもしれない。ここ本当にわからん。
わからんまま続けると、この二人が「源氏物語」でそれぞれの思い入れのある役を演じたのは「源氏供養」内の彼女たちの潜在的な意志。紫式部は別に藤壺に思い入れがあった描写がないから、彼女は恐らく「光源氏」の意志で配置された。光源氏(過激派ファン)にとっての永遠の憧れである藤壺(紫式部)。

 

整理続けます。

いったん条件を上記で固定すると、禺伝は「紫式部ファンが時間遡行軍によって「源氏供養」の世界に入り、「源氏供養内の源氏物語」の"雲隠"に光源氏の死の描写を明確に入れ、現実世界に"光源氏の骨"の存在可能性を残すことで、源氏物語を虚構ではなく現実に変換しようとした話」になるのかな。

ファンの人("光源氏")の思考の整理↓

①源氏供養内の源氏物語の描写を改変する

②遡及して本物の源氏物語の描写も改変される

③「光源氏が死んだ」という明確な描写が設けられる

④後世になって平安時代の男性の骨が発掘されたときに「光源氏の骨かも」と言われる可能性が出てくる

源氏物語が現実になる

 

③と④の間に飛躍があるな~と思ったけど、あのファンの人が、「すめらぎ(皇)だって伝説だと思われているのに歴史として生きている」みたいなことを言っていた通り、存在可能性が低くても聖遺物的な感じで「現実」とされる例はたくさんあるわけですよね。ファンの人は光源氏もそうしたかった。そうすることで紫式部が罪人になることを避けようとした。そのためには「光源氏って雲隠で死んだじゃん。実はね、これがその骨」とか言う人が出てくる隙を作りたかった、ってことか!?!?書いてて気づきました、全然違うかも。

ファンの人は雲隠で死んで「私の骨を残す!!」って言っていたけれど、源氏供養内で死んでも「光源氏が死んだ描写を作る」という改変は成功するけど、「自分の骨を残す」は成功しないと思うんですよね。だってファンの人が死ぬのは源氏供養の世界で、現実世界じゃないから。だから、「ん~???」ってなってたんですけど、上記の聖遺物の話を考えると、別に本当に骨を残す必要はないんだなって。あれはそういう表現をしてるだけで、大事なのはあくまで「光源氏が死ぬ描写を作る」こと。そこまでできれば後は現実の人間が勝手に歴史を作ってくれる。

 

ここまで書いて、「あ、これって弥助がやろうとしたことと同じじゃん」と気づきました。

弥助はただの刀に「刀剣男士を倒した」という物語を付与して現実世界を書き換えようとした。

ファンの人は源氏物語に「光源氏が死ぬ物語」を付け加えることで、誰かの骨に「光源氏の骨かも」という物語を付与して現実世界を書き換えようとした。

 

で、両方ともうまくいかないわけです。

前者では「"モノ(現実)"に物語を付与したら現実世界を変えられるか」、後者では「"物語(虚構)"に更なる物語を付与したら現実世界を変えられるか」という実験が行われた、という認識でいいのかな。

実験、というかそういう二つの話を我々に見せることで「付け焼き刃の物語の弱さ」を示しているというか……。

 

話が今回の本丸に近づいてきましたね!!付け焼き刃の物語を実験的に付与された本丸の刀のお話。

申し訳ないのですが、今回の出陣メンバー、軒並み私の範囲外の刀だったので、誰に何の物語が付与されているのかはTwitterで拝見した解説をお借りしてます。

 

歌仙→元主はガラシャ(ステオリジナル逸話)

倶利伽羅→伊達家には渡らず、ずっと徳川家にいた(ステオリジナル逸話)

御前→沖田総司の刀(そういう嘘の逸話があることは現実に知られている)+小烏丸の逸話

山鳥毛→にっかり青江の逸話

姫鶴→長谷部の逸話

にゃん→???

 

にゃんだけ結構検索しても分からなかったので、にゃんだけ普通なのかもしれない、わからん、何もわからんけど。

 

禺伝本丸は、一文字達が自分達で「実験的本丸」的なことを言っていて、本当に何???主は政府なんか????そんでもってなんで歌仙と大倶利伽羅は知らないの???何もわからん。

で、この本丸を使って明かされたこともまた「付け焼き刃の物語では強くなれない」だった。

 

ということは、結論として「現実を変えるには本物の物語(=経験?)が必要」ということが改めて示されて、維伝の「物語を送れ……」に、繋がる、のか??本当に繋がるのか!?!?

あと、終盤に出てきた演練相手の山姥切国広が放浪中の山姥切慶彦であることは疑いようもないですけど、放浪中の刀って演練できるんだ……??できんの???それもよくわからん。単独行を待ちます。