おいしいプリンが食べたい

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映画 蜜蜂と遠雷 感想のようなもの

最近蜜蜂と遠雷がマイブームなので、考えていることなど書こうかなと思います。
(この記事は漫画・アニメおたくが書いています。たまに変な単語出てくるかもしれません。ご注意ください。)

先に映画を観るか迷ってる方向けの案内を書いてしまいますね。私はこの映画、ここ最近の映画の中では最高ランクなので、基本的には観に行っていただきたいな~という気持ちです。

恐らく鑑賞を迷ってる方の迷いポイントは

・原作を先に読むべきか
・クラシックの知識がなくても大丈夫か

かな?と思います。
個人的には

クラシックの知識が全く無い。有名な曲とかも正直よく分からない。
→原作読んでから映画

有名な曲くらいは分かる。
→映画からで問題なし。映画観て興味があれば原作も読んでいただけると大変楽しいと思います。

クラシック好き。
→どっちからでも良いです。両方に触れてください!

という感じでしょうか。
クラシック知識ゼロだとちょっと厳しいかな?という気持ちがあるので、知識が無い方は原作で知識を習得してから映画を観た方が楽しいかと思うのですが、原作、とても、長いので、あれだったら公式サイトのリンクから飛べるピティナの特設サイト(https://compe.piano.or.jp/2019/09/mitsubachi-enrai.html)読む、でも良いかと思います。

あとは「あくまでも一般大衆向けに分かりやすく作っている」ということを念頭に観るのすごく大事。業界に近ければ近いほど細かいところの違和感があったりはするのかもしれませんが、そこに腹を立てていたら作品が伝えたいことを受け取れないので。(これはどんな実写映画にも言えますが...)
同様の意味で「いかに原作に忠実か」という観点で鑑賞するのも避けた方が良いかと。


では、ここからネタバレしない範囲での「なぜ最高な映画だと思ったか」話を書いていきます。


①描写されているもの全てに意味がある

これが一番素晴らしいと思った点。
画面に写っているすべて、喋っている台詞、役者の動作や表情、流れている音楽すべてに意味が込められている。見ていて「あ、これってもしかして」と思う場面が多すぎて、まるで舞台を観劇してるような感覚。とても面白い。
具体的に印象に残っているところの話も書きたいのですがネタバレになるので、この記事の下の方に書きます。


②音の使い方がうまい

パンフに「音楽を表現しようとした映画」みたいなこと書かれていたのですが、その意気込みが十二分に感じられる音使いでした。
人間があまり喋らないのが最高だな~と個人的には思ってます。なんというか、厳選された台詞しか喋らないという感じで。
その分、ちょっとした動きだったり目線だったりで表現してくれるので役者さんの演技力がめちゃくちゃ発揮されていて凄いです。圧倒される。
それから、人間が喋らない分を劇伴(と言えばいいのか?)だったり作中で演奏される音楽に費やしていて、大変贅沢。
劇伴もオリジナルだったり既存のクラシック曲だったり色々なのですが、全てが「この世界、この状況を音楽で表現するとこう!」というのがヒシヒシと感じられるので楽しいです。サントラ欲しい。


③画面が良い

すごい好みの色味してました。
どう表現すれば良いのか・・・お洒落映画みたいな・・・ちょっと彩度低くて青みがかっているというか。
邦画っぽくない、洋画寄りに感じました。
監督がポーランドで映像を学んだということなので、そういう色が出ているのかな?
画面に字幕だったり曲目だったり文字がたびたび表示されるのですが、そのデザインもとっても良かったし、あと、衣装とか小道具とかそういうのもすごい素敵で、写真集出してくれ~~~~って(わりと切実に)思っています。
資料集とか円盤限定盤に収録される特典映像などが日常世界なおたくなので、そういうのめちゃ欲しいんですけれども、どうなんだろうか。
お金は出すので色々ください。

画面に映るものすべてが良すぎて、それだけでもかなりお腹いっぱいなのに、そこに最高の音がつくんですよ!!すごい、すごい贅沢です。ありがとうございます。






↓↓ここから下、ネタバレありの感想↓↓

「このシーンはこういう意味なのでは?」などなど印象に残ったところをつらつら書きます。解釈上手ではないので的外れな可能性も高いですが、ゆるっと読んでいただけると嬉しいです。


・亜夜ちゃんの笑顔

最初に笑顔を練習してるシーンから始まり、その時はあんまり上手く笑えていない。
その後も亜夜ちゃんが笑うシーンはあまりなくて、誰かと会話しているときに笑うことはあるけど、音楽と対峙しているときに笑うシーンはない。
けど、最後の最後、プロコの3番を演奏しているときに自然と笑顔になるんですよね!!
めちゃベタな表現の仕方だけれど、このコンクールを通して亜夜ちゃんがもう一度音楽を楽しめるようになった、という表現としては最高だと思います。

突然の黒バス話をしますが(どこかの記事で書いたことある気がする)、私は黒子の「好きだったものを嫌いになることはとてもつらい」(要約)という台詞がすごく印象に残っていて、その通りだな、と。
好きだったはずなのになんでこんなに苦しいんだろう、ってことほどしんどいことはないわけで。
亜夜ちゃんはまさにその状況だったわけで、でも、まーくんや明石、塵に出会って、コンクールでたくさんの物事や人物と触れて、好きだった理由とか気持ちとかちゃんと思い出せたんだなあ、良かったなあって最後の笑顔を見ていると泣いてしまう。


・亜夜ちゃんとまーくん

推しカプです!!!!!!結婚して!!!!!
まーくん三次元化するとマジで王子様で、森崎ウィンくんほんまにありがとうな;;;;
出逢いのシーンから好きが暴走するんですけど、本選直前の二人での練習シーンがヤバすぎて毎回号泣している。完全に不審者。

一番最高なシーンは、練習を終えてあーちゃんがまーくんに励ましの声をかけて去るときに、まーくんが「・・・・・・うん」って、小さくてちょっと震えてて不安そうな声で答えるところが!!!最高;;;;;
ジュリアード王子もあーちゃんの前ではポロッと「泣き虫まーくん」が出てしまうのヤバくないですか・・・????

まーくんて天才なんだけど、バランスのとれている天才なのが凄いなあって思っていて、まーくんは多分自分のこと秀才だと思ってるんじゃないかな?天才なんだけどね。
その、亜夜ちゃんや塵は所謂「天才」なので、ちゃんと突っ込んであげたりサポートする人がいないと生きていくの難しいと思うんですよ、だから、まあ、まーくんとあーちゃん結婚してくれと思っています。


・四人の比較

四人の個性の表現方法が好きですという話。
一番分かりやすく表現されていたのは春と修羅カデンツァだと思うのですが、それぞれが使うピアノのメーカーとか、服装とか、練習の様子とかもうまく分けていたなあと。
またあーちゃんとまーくんの話をしてしまうのですが、最後の練習の時にまーくんは電子楽譜を持っているのに対し、あーちゃんは昔から使い込んでいる様子の紙の楽譜を持っていたの、えもえもでしたね。


・海辺のシーン

みんなで海辺で散歩するシーン。
これ、明石とちえみさんの会話を聞こうとすると亜夜ちゃん&マサル&塵の会話が聞きとれなくて、後者の会話を聞こうとすると前者の会話が聞き取れないようになっていて、もっと言うと、普通に聞いてると明石&ちえみさんの会話が聞き取れるようになってるんですよ。
どこまで計算してるのか分からないですが、これ、もしかして「天才と凡人の壁」を表現しているのかな?と思ってしまい!!!!
凡人に天才の声は聞こえないし、逆も然りで、世の中には凡人の方が多い、というのをこれで表しているのだとしたら表現方法が天才~~~~と思ってここでもまた泣きました。

少し話変わるけど、パンフで松坂決闘者氏が「ここで"俺にも(天才の考えてることは)分かんないや"って言えた明石はすごい」というような話をしていて、本当にそうだな、と。こんなに好きなのに、自分は天才じゃないって認めるのはすごく勇気が必要で、それができたことがすごいし、それができたから明石は音楽をまだ続けようって思えたんですよね。認めてしまうと楽に向き合える。


・バーでの自動演奏

三枝子とナサニエルがバーにいるシーン。ピアノの自動演奏を背景に「ピアニストとして食べていけるのはほんの一握り」という会話をしているの、めっっちゃ皮肉な演出してくるな~~!ってニヤッとしてしまう!だって自動でピアノが演奏できてしまう時代だもんね。


・亜夜ちゃんの本選のドレス

原作だと銀色のドレスでしたが、映画は黒。
最初に見たときは、幼い頃のドタキャンコンサートと重ねた描写が多かったので、それに合わせたのかな?幼い頃のドレスが黒だったのは喪服の意味もあるかな?と思ったのですが、2回目に見たときは、「ピアノのお姫様」に見えたんですよね。
これはどっちなんだろうな~、どっちもかもしれない。


・「蜜蜂と遠雷」というタイトル

どちらも「世界が鳴らしている音」として出てくるので、なんか、そういうことなのかな~、世界が鳴らしている最小の音と最大の音、とぼんやり原作を読んだときは思っていました。多分それはそれで正しい感じかただったと思うんですが、今回映画を見ていて2つ気づいて、1つは「蜜蜂=塵」「遠雷=亜夜」ということ。
プロコ3番を引き終えた亜夜を映しながら雷鳴が轟いていて、それを聞いて、あ、遠雷って亜夜のことだったんだ、って思いました。
原作でも亜夜は世界の感じかたに包容力があるというか、春と修羅カデンツァが典型ですけど、世界を大きく感じているイメージがあって、世界が鳴らしている大きな音=遠雷、っていう繋がりで、映画ではあそこで雷の音を鳴らしたのではないか?と思ったわけです。

もう1つは「遠雷=拍手」ということ。万雷の拍手、という表現の通りですね。最後の雷の音、雷の音にも聞こえるけど、拍手にも聞こえて、両方を表しているとすると、この「遠雷」は亜夜の演奏に対する我々の拍手、祝福であり、音楽から亜夜への祝福でもあるのかな~!なんて!コルダの民は思ってしまったりして!
映画の演出のおかげでこんなにも「遠雷」に対してたくさんの意味を見出だすことができて嬉しかったです。そういう感動に震えていると、画面が切り替わって蜜蜂(蜂蜜王子)の帽子が映るんですよね。バックの音は雷の音のままで。
何も、文字は何も表示されていないのに、この映像はまさに「蜜蜂と遠雷」を示している!!素晴らしすぎる;;;;



とりあえず今書きたかったのはここまでで、これから原作から変わった点などを比較検討したいな~と思っております。
原作読み直してみて、また書きたいことがあれば書きます。